昨夜は痒みがきつく、最近の流れもあり四日市の椿岸神社(七郷の惣社)へ。
初めての体験だったが、手水舎にてオオスズメバチがずっと飛び回って近づいてきた。
その後、拝殿でお参りしていると更に大きなオオスズメバチが近づいてきた。
お参りをさせたくなかったのか(道が無くなるのが嫌!)、毒をもったモノ(Y関連)がまとわりついていたというメッセージか・・・。
YがNに「限界だから会いたい」と言うのもおかしいし、スッキリしておく事が必要だった感じ。
以下、神社検索より抜粋。
主祭神
- 《主》天宇受売命
- 《合》豊受姫命大御神、天児屋根命、豊臣秀吉、素戔嗚尊、木花之開耶姫命、倉稲魂命、品陀和気命、市杵島姫命、八衢比古命、八衢比売命、大山祇命
- 《配》猿田毘古神、天照大御神
由緒
- 伊勢の海がまだ智積の辺りまで入り込み、さざ波が立っていたほどの大昔、今は通称坊主尾と呼ばれる大地に我々の祖先が住みつき、生活を始めた。その頃この土地を御守護される大神様を部落の中の清浄な所へお迎えした。その地名を今は字桜町西区椿尾と言っている。鈴鹿山系に源を発する三滝川と矢合川が年々歳々土砂を運び次第に海岸線も遠のき、やがて日本が国家として成り立つ頃にはこのあたりに多くの人が住むようになった。古代のことは書物が残っていないため詳しいことは判っていないが、奈良の大安寺にある今から約1200年前の天平20年の古文書には、椿社の田畑が未開墾も含めて60町有ったと記されている。このように広く土地が開かれ発展した桜の地には商業も栄んとなり家並みが整い智積大寺も創建されてこの地方の文化的中心地となった。延喜の式制(約1,000年前)では国幣社に列せられるほど神威大いに輝いた。時は移って享禄2年(約487年前)それまで椿尾にお祀りしていた神社が兵火にかかって社殿を焼失してしまった。また村の東の方に遍して開け、神社が村のはづれの遠隔の地となり、お参りやお祭りに不便となっていた為に、七郷(佐倉、智積、桜一色、赤水、海老原、平尾)の氏子が合い寄って協議をした結果、村の中心の現社地に移すことになった。7つの村のそれぞれの清土を持ち寄って土盛りをし、樹木を植え神殿を御造営して大神様をお遷し申し上げた。今の境内の土質が七種となっているのはこの時のことに依っている。以来当社は七郷の総社と称され、七村の氏子の崇敬はますます篤いものとなった。現在の桜地区の共有地は明治の終わりまでは神社の社有地であった。神社が御供料として所有していた広大な田畑(神田・御園)山林(御用林)は、明治32年に法律が改正されて神社に返却された。この土地に加えて明治41~2年に村の内の小さな社を合祀したために社有地がより広くなり、それが各地に点在し管理していくのに困難を生ずるようになった。そこで明治43年に神社の運営に支障をきたさない援助を条件に境内地外の社有地が各区に払い下げられた。この土地が現在の区有の資産および旧村有林であって、払下当時は村の管理ではなく各字又は各組で管理していたが、大正年間に当時の村長小林繁太郎氏によって村有林として一括村が管理することとなった。以来当資材の恩恵は地区民全般に亙り、小中学校を始め各地区の公会所等の公的な機関は多大な恩恵に浴し、大神様の御守護は今もなお地区民に御恩頼を蒙ふらせ給うておられる。特殊神事:獅子神祈祷神事(秋祭り)お湯立神事(7月14日)
氏子地域
- 智積町、桜町、桜台1丁目、桜台2丁目、桜ヶ丘、桜新町、桜花台1・2丁目


0 件のコメント:
コメントを投稿