百済王氏(くだらの こにきし うじ)をWikipediaからメモ。
- 百済最後の王である義慈王の子である善光を始祖とする日本の氏族。持統朝に百済王の氏姓を賜与された。
- 「こにきし」は、古代朝鮮の三韓の王を指す言葉であり、古代朝鮮語に由来すると考えられている。
- 平安時代初期には、桓武天皇の母(高野新笠)が百済系渡来氏族の和氏出身であったため天皇の外戚とみなされ厚遇を受けた。一族の娘を桓武天皇・嵯峨天皇らの後宮の宮人とした。和気氏・伴氏・佐伯氏などとともに功臣の子孫として天皇即位などの儀式の際に氏爵を受け、従五位下の官人を輩出する慣例ができた。これらの百済王氏への氏爵は戦国時代まで行われていた。
- 百済王氏の本拠地は当初摂津国百済郡(現・大阪府大阪市天王寺区南東部、生野区西部、東住吉区北中部)にあったが、その後河内国交野郡中宮郷(現・大阪府枚方市中宮)に本拠を移し、この地に百済王の祀廟と百済寺を建立した。百済寺は中世に焼失したが、百済王神社は今も大阪府枚方市に残る。
- 百済最後の国王・義慈王は倭国と同盟し、その王子豊璋と善光(扶余勇・禅広王・余禅広)を倭国に送った。日本に残った善光が百済王族の血統を伝えることとなった。
- 扶余豊璋は善光の兄で、善光と共に倭国に派遣されている(日本書紀では派遣、三国史記では人質)、鬼室福信ら百済遺臣に迎えられて帰国する。
- 鬼室 福信(きしつ ふくしん、生年不詳 - 663年)は、百済の王族・将軍。義慈王の父である第30代武王(余璋)の甥。官位は恩率(三品官)、のち佐平(一品官)。鬼室氏の祖となる。没した2か月後白村江の戦いで倭国と百済の連合軍が大敗した。
- 福信の近親者と思われる鬼室集斯の墓所は鬼室神社(滋賀県蒲生郡日野町小野)
- 百済王神社の旧神主家である三松氏は百済王氏の後裔を自称した。
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百済 永継(くだら の ながつぐ、生没年未詳)
- 平安時代初期の女性。藤原真夏·藤原冬嗣(北家、摂関家の祖)·良岑安世の母。
- 藤原内麻呂の最初の妻で、後に桓武天皇の後宮で女官となった。
- 父は正五位下の飛鳥部奈止麻呂(安宿奈止麿とも)という、河内国安宿郡(現大阪府羽曳野市)を本拠とする渡来人系の貴族であった。安宿郡は光明皇后や安宿王など藤原氏と縁が深いとされている土地であった。
百済王 明信(くだらのこにきし みょうしん 、生年不詳 - 815年11月19日)
- 奈良時代から平安時代初期にかけての女官。
- 桃園右大臣藤原継縄(藤原南家の祖・藤原武智麻呂の孫)に嫁ぎ、乙叡を生む。
- 桓武天皇は百済からの諸蕃系氏族を重用してきたが、特に明信は天皇の寵愛を受けていた。
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桓武天皇を始まりとする「呪い」の連鎖には、藤原氏とくっ付いた「百済」の影あり?
百済と新羅の霊的争いが、日韓関係(全羅南道、済州島、北朝鮮)や古墳封印(新羅系)に関係しているのかもな~。
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