「人を救う」と言えば、何て傲慢な!という感じですが・・・。
「易占の近道・地の巻」(観象学人著)の「天雷无妄(てんらいむぼう)」には、「人のためを以てすれば天意に逆らい凶害を招く」という記載があります。
原因と結果が比例せず、努力と成果も一致し難い時だから?という考え方もありますが、助けるというのはリスクが伴います。
そもそも、苦しむ原因は何らかの霊的曇りがあるからですし、不幸の原因が恨みだったとすれば、敵を手助けした存在となりますので。
それでも、神様の経綸が変わるまでは各々の宗教等が布教という形で人助けをしていました。
宗教には賛否両論ありますが、純粋に深く体験した人なら理解は出来るはずです。
自分の経験から分かるのは、「助けて!」と自分から言えない人に対してキッカケを与えた人というのは一生涯付きまとわれます。
腐れ縁という霊線ですが、ある人の事象を考えると生まれる前から決めているというのもあるので運命と言えば運命?
徹底的に、相手の考え方が変わるように導けるのであれば、問題はありません。
ただ、相手に「変わりたい!」という意識変化を持たすのは難しいです。
依存をするほうが、変化より楽なので。
ダラダラ書きましたが、時代が変化した今、口を開けて待っていても救ってくれる救世主は現れないという事です。
自分の事なので自分で考え、自分から行動を起こせないと。
以前、ぶーわさんも仰ってみえましたが、「死のうとする人を助けてはいけない」と。
人間には自由意志があり、自分で決めているのですから。
たとえ、霊の影響であったとしても(言い訳しても)、それが通用しない厳しい時代。
神様のお働きがあれば、土地の浄化や「リセット」のお手伝いはありますが、口を開けて待っているだけだったり、自分の思い通りにこちらを動かそうとする諸霊などの場合は、心底、興味無しということで。
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