江ノ島をメモ。
- 江の島は太平洋に面した相模湾に浮かぶ島で、長さ約600mの砂嘴(さし)によって陸続きになった陸繋島。
- 東部には聖天島と呼ばれる小島があった。しかし、関東地震(関東大震災)の隆起で江の島と地続きとなった。
- 古くは江島神社(日本三大弁天の一つ)に代表されるように「江島」と表記されていたこともある。
- 江の島が面する相模湾にはかつては非常に豊かな生態系が存在したとされている。三浦半島には東日本では珍しく組織的な古式捕鯨が行われるほどにクジラが多くいたとされ、ニホンアシカを対象としたアシカ猟も行われていた。
- 四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形や海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。奈良時代には役小角が、平安時代には空海・円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参籠して修行に励んだと伝えられている。
- 寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請(奥州平泉の藤原秀衡調伏を祈願)し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。
- 江の島は、古くは榎島、得瑞島、荏島などさまざまな文字で書かれており、その名の起こりは、入り江の中の島、「江」の文字に似ているからなど諸説ある。
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聖天や歌舞伎(芸能)というのが、浅草と同じようなイメージ。「エ」の島。
反藤原氏で弁財天を祀る。
榎島(エノシマ)を考えると、愛知県東部である三河起源?
三河は古くは「ホ」の国であり、国府や国分寺のおかれた豊川が、昔の吉田で「異也」の文字がある。後の「豊川稲荷」で、此所は始めは天の朝系の拝火のミカワヤウド地。(野史辞典P211)
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