昨日、友人から聞いた岡田真明氏の話で、気になったのでメモ。
「お委ね」を言霊的に考えると、「お湯だね」?
火+水 の融合という意味もあったりして。
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<2025.6.15> → 霊的な曇りの掃除を信徒皆が使命として行う!
- 「世界平和はもう来ました」の種を蒔かない限り、一生世界平和の実はならない。
- 我々の使命は、残りなく掃除すること。最後残っているのは、長年手つかずの、しつこいベトベトの、どんな洗剤を使っても取れないような、そんな汚れ。だから我々の心はいろんなところに遣わされる。我々の心を誰も行きたくないところに連れて行くので、我々はいろいろ思わされる。(優越感、劣等感、怒り、不安、焦りとか)
- 我々には果たさなければならない使命がある。掃除の業にはお仕えしたくないとすれば、その残ったごみはどうなるのかというと、当然、霊主体従の法則によって地上に現れて、で、このよく分からない世の中はずっと続いていきます。だから、皆さんお一人おひとりにかかってる。自分自身の掃除の使命を思い出さなければいけない。
<2025.10.5> → 自分自身に問題!神様への責任転嫁は×。ディオニソス(猿田彦)
- 浄霊をやっても治らないのは菜食をしていないから。(ミロクの世は菜食)
- 我々が目指している「新しく生まれる」が万教帰一の中心。そのためには、命と意識と魂をメシアの御名にあって神様に捧げる。あるいは、全身全霊でお仕えするとか、身体の全細胞をお捧げする。
<2026.2.4>
- 想念の実践とか湧いてくる思いを神様へお捧げすることは大切なことです。でも、本来我々は、お委ねが目的なのではなくて、お委ねするところから解放されるのが目的なんです
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