初午さんで有名な「岡寺山 継松寺」 をメモ。
- 三重県松阪市中町にある高野山真言宗の仏教寺院。
- 本尊は如意輪観世音菩薩。厄除け観音として知られ、毎年3月の初午大祭は多くの参拝客で賑わう。
- 寺伝によれば、天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により、行基が如意輪観音を本尊として飯高郡石津郷(現・松阪市石津町)に創建したとされる。行基が伊勢神宮に奈良大仏建立の神勅を奉伺するために当地に派遣され、その際に霊告を受けて四カ寺を建立したが、当寺はその唯一残る霊場である。
- 天平勝宝2年(750年)に大洪水で堂宇や本尊が流出し、二見浦に住む三津五郎右衛門という人物が海中で本尊を見つける。三津五郎右衛門は出家し、継松法師と名乗って寺を再興したという。この「継松法師」の法号が、寺号の由来となる。
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日本三大観音の一つである「津観音」をメモ。
- 三重県津市大門にある真言宗醍醐派の別格本山。
- 本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされる。
- 伊勢神宮の往復に立ち寄る参拝者が増え、「阿弥陀に詣(まい)らねば片参宮」と言われるようになった。寺でこの阿弥陀を天照大神の本地仏と位置付けていたように、神仏習合を伝統としている。
- 『勢陽雑記』(近世の地誌)等が伝える伝承によれば、創建は奈良時代の初め、和銅2年(709年)に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、これを本尊として開山したのが始まりであるという。
浅草観音をメモ。
- 飛鳥時代の推古天皇36年(628年)、隅田川(当時宮戸川と呼称)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟が網にかかった仏像を引き上げた。この兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも。名前に所説あり)は出家し、自宅を寺に改めて供養し、本尊の聖観音像とした。これが浅草寺の始まりという。
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ヒルコに関しては以下のような記述。
- 『古事記』において国産みの際、イザナキ(伊邪那岐命)とイザナミ(伊邪那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
- 流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。
観音様に関しては、「三十三身」ということで、変身が可能です。
どのようなバックボーンがあったとしても、「観音」というのはあらゆる「隠り身=神」にとって都合がいいのかも!?
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